2004年

ーーー12/7ーーー 今年のギルド展

 先週末、安曇野穂高家具ギルドのグループ展が開催された。今年で4回目になる。最初は6人で始めたグループが2回目には5人となり、今回は4人となった。ワンマン工房が集まってのグループであるから、分解の危機は常にある。毎月一回のミーティングでは、様々な意見が出され、対立することもあった。それでもグループ展が4回まで続けられたことを、私はメンバーの一人として誇りに感じている。

 今回の展示会で、私の椅子が三つ売れた。地元穂高町で開催される展示会では、正直なところ売り上げは期待できない。売り上げはさておき、世の人々に手作り家具を見て触れて知っていただければ有り難いという気持ちでやってきた。そんな状況であるから、今回の成績は異例の上出来であった。

 今年の新製品である「アームチェアCAT(クッション座)」が、6月の東京の展示会に続いて今回も売れたことが、とりわけ嬉しかった。展示会場の私のスペースでは、開業した1991年から今年までに作った椅子を年代順に並べた。私から見れば、それぞれの椅子が少しづつ変化していった過程がうかがえる。その歴史の上に今年の新製品もある。そんな思いで椅子たちを眺めて、感慨深いものがあった。 



ーーー12/14ーーー →私の展示

 
先週のマルタケを読んで、その展示の風景を見たいという要望がある読者からあった。

 この写真が、ギルド展における私のコーナーである。年代順に椅子をぐるりと並べ、正面の壁ぎわにはアームチェア(クッションCat)の材木から製品に至る製造過程を四段階で展示した。

 実は、この夏の東京での展示会以降、注文仕事に追われてギルド展に出す新作は作れなかった。仕方なく、自宅で使っている椅子も動員して、このような展示にした。

 こんな展示でどうかと思ったが、結構お客様の反応が良くて驚いた。年代順にというのが面白かったようである。また、自宅で10年に渡って使用している椅子を展示するのも、かえって良かったようである。生活の跡が付き、艶が出ているが、一つのガタも無いことに、見た人は良い印象を覚えたようであった。

 段々になった壁ぎわのディスプレイは、夏の展示会で使ったものを流用した。これも、一部の方々に受けた。特に、訓練校の木工科の学生などには勉強になったようだ。

 段々のディスプレイの後ろに掲げてあるのは、詩人佐々木幹郎氏が私の椅子に寄せて下さった詩「ふり向くと 猫がいる」。この額の前にたたずみ、じっと見入っている人も多かった。

 ちなみに、今回Catをお買い上げ下さったお客様に、この詩のコピーを差し上げた。お客様は「額の詩を見て素晴らしいと感じました。戴きたく思いましたが、図々しいと考え、あきらめたところでした。手に入れた椅子に詩があるなんて、なんと素敵なことでしょう。本当に嬉しいことです」とおっしゃられた。



ーーー12/21ーーー 家族でやった花札

 家庭の書類ファイルを整理していたら、「得点表」と書かれたタブの付いたファイルが見つかった。中には、碁盤の目のように細かく仕切られた表に、びっしりと数字が記入された紙が、何枚も入っている。

 これは子供たちが小さかった頃、家族で遊んだ花札やトランプの得点を記録したものである。勝負をする毎に各自の得点を記入し、それを累積して順位の上下を楽しむためのものであった。思い出せば、上の子が高校生の頃まで、よく家族全員でそのような遊びをやっていた。

 長女が中学生のとき、学校が荒れた。地元の人は昔からだと言うが、かなりひどい状況だった。娘のクラスでも非行の問題が起き、父兄が集まり、担任の教師と教頭先生を交えて懇談会が持たれた。

 情熱的教育家で知られた教頭先生は、一時間半ほど持論をぶちまけ、最後に「こういう問題は教師の側でも決め手は無いのです」と言った。そして、「父兄の方から何か良いアイデアはありませんか」と聞いてきた。

 私に順番が回ってきたので、「家で子供と花札をやってます。最初は、中学生にもなって親と遊ぶかなと思いましたが、子供は喜んでやってます。上の子は下の子を指導したり、場の雰囲気をまとめたりします。そんな遊びを通じて、子供は当人が考えるほど大人ではなく、親が考えるほど子供ではないと感じました」と申し上げた。

 教頭先生は表情を変えた。そして、「これは良いお話を戴きました。今日はもう結論が出ましたね。皆さん、ご家庭で花札をやりましょう。花札ですぞ !」と半ば絶叫のような声を発した。

 長女と長男は、それぞれ名古屋と大阪の大学へ進学し、家から離れてしまった。そんな今となっては、もはや我が家で使われることも無い得点表だが、久しぶりに当時のことを思い出して、懐かしかった。



ーーー12/28ーーー 年末雑感

 年末になって一年を振り返る、というようなことをほとんどやらない私だが、今年は何故かそのようなムードである。

 今年のハイライトと言えば、何と言っても6月の東京での展示会であった。年が明けてすぐに話が持ち上がり、今年前半はその準備に追われた。展示会開催中は楽しかった。そして注文も取れた。年末となった今でも、展示会で受けた注文の品を製作している。

 この展示会でずいぶん自信が付いた。ビジネスとして上手くいったというようなことよりも、いろいろな方の反応を感じ、自分の製作活動に自信が持てるようになったのである。やはり人前に自分を曝し、作品を曝すということは大切なことなのだ。過去に何回か展示会を行なったが、今回が一番大きな手応えを感じた。私は多くの人々から、これからの製作活動に向けての勇気を戴いた。

 家庭内のことでは、息子が一年間の浪人生活を終えて大学へ進んだ。子供の教育費用すらケチらなければならない、稼ぎの悪い親である。私大へ行かせる余裕は全くないので、今年も国立一本に絞った。私自身浪人の経験があるので、スベリ止めを設けない一発勝負の辛さは良く分かる。息子にそのようなことを強いた自分が情けなかった。しかし息子は、「絶対に合格する」と言い放って入試に臨み、そして合格した。

 長女は大学院の修士過程に進んだ。工学部の卒論で研究したテーマが的に当り、大学が特許を申請した。それをさらにレベルアップするために、プロジェクト・チームが組まれたとのこと。「君がしっかりしてくれなければ困る」と、教授からハッパをかけられている娘が、学生時代は山登りばかりして遊んでいた私から見ると、ちょっと可哀想でもある。

 次女は来春の高校受験に向けて、嫌いな勉強に立ち向かっている。小さい頃からスポーツは抜群の能力であった彼女だが、その陰に隠れて勉強の方はさっぱり目立たなかった。しかし、相撲なら徳俵に足がかかったような状態で、なんとか授業についていったようである。気がついてみたら、学年で5本の指に入る成績となっていた。上の二人の子供と同じ公立高校をめざして、今日も苦手な問題集に向かって鉛筆を握る。

 女房に関しては、特に書くことも無い。などと言っては後で大変なことになるから、少し触れよう。金銭に関しては全くダメな夫を、今年も良く支えてくれたと思う。ろくな稼ぎも無いくせに大酒を飲む夫に、小言の一つもいわずにいそいそと肴をこしらえる彼女は、まさに職人の妻の鏡である !

 ともあれ、なかなか良い一年であった。素晴らしい人々との出会いがあった。素晴らしい音楽との出会いもあった。歳をとると時間が経つのが速くて、一年が「あっ」という間に過ぎてしまう。それでも、今年のように良いことずくめの一年なら、短くても悔いは無い。

 それでは皆様、良いお年をお迎え下さい。




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